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第2回被災地へ 行ってきました
3月26日(土)夜、富山を出発。 翌27日(日)夜明け前、石巻市に到着。

<まず、湊地区で炊き出しと救援物資の分配>
朝6時頃から、廃墟と化した「しまむら」の店舗近くのスペースで炊き出し準備。
朝早く犬の散歩をする人がちらほら。持ち込んだ救援物資の中からドッグフードを渡したり、炊き出しの告知。

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写真上:救援物資の周りに人だかりが。湊地区で

メニューは、豚汁、おにぎりとたくあん、ぼた餅。はっさく20箱分も。
効率よくするために、豚汁に入れる肉や野菜はあらかじめ湯がいた状態で持参。
一緒に豚汁を食べながら、被災者の方たちからいろいろ話を聞くことができました。
命が助かった人たちはみんな、ほんのちょっとの差で九死に一生を得たとおっしゃっていました。
車で食べに来た人もいました。ガソリンが手に入るようになったようですが、それでも8時間待ちでやっと給油できたそうです。

ここで出会った50代の女性から、少し離れた黄金浜地区の窮状を聞かされました。
この地区は、周囲が壊滅状態のなかで比較的家屋が残っていて、自宅で生活している人が多い場所でした。
2日前からようやく、自衛隊による給水が始まったけれど、水道・ ガス・電気は使えず、物資も全然届かないとのこと。
町内を取りまとめていた人などが津波で亡くなって、物資の支援などについて取りまとめたり連絡調整してくれる人がいないのも理由のひとつらしい。
そこで、炊き出し会場を黄金浜地区に移すことにして撤収。

<次に、黄金浜地区で炊き出しと救援物資の分配>
「ミヤケン」という建設会社の敷地を借りて、炊き出し再開。
200人くらい人が集まったのでは。
炊き出しを利用しに来られた人の中には、被災してから温かいものを口にしたのはこれが初めてという人も。
持ち帰り用に鍋を持って来た人もいましたが、鍋さえない人もいます。

さまざまなボランティアが現地に入り始めていました。
東京から来たというパキスタン人のグループが、そばでカレーの炊き出しをしていました。
彼らから余ったご飯を譲り受け、豚汁とセットにして配りました。
最後は、炊き出し会場まで来られない人の元へ、小分けにしたものを一輪車に積んで配ってきました。

<石巻市役所へ>
職員に、はっさくとぼた餅を差し入れ。
市役所の一角で避難生活している人が数人います。ここでは電気も水もあるし、食べ物もちゃんと確保してもらえ、ありがたいと話していました。

28日(月)夜明け前、富山に到着。0泊3日の活動終了。

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写真上:建物に激突した船に車が乗り上げている。参加した高校生が撮影

参加した10〜20代の若者たちが、とてもよく動いてくれました。おもに友人知人の息子や娘たちですが、支援活動のことをラジオで知って参加してくれた男子もいます。
必要とされる物資は、その時その場所によって違うようです。
たくさんの大人用オムツを持っていきましたが今回はあまり需要がなく、赤ちゃん用オムツの方が必要とされました。
被災から2週間経ってもインフラが復旧しないため、水や電池を求める人がたくさんいました。
ほかには、ろうそく、長靴、下着、薬(目薬、整腸剤)、マスクなど。
長靴は、津波被害で足元がぬかるみのようになっているため。目薬やマスクは、砂やほこりなどが舞っているため。
富山で、携帯充電器や電池を購入していきましたが、足りませんでした。
ろうそくも買いに行ったのですが、富山でさえ店頭で購入制限がかかってたくさん買うことができませんでした。しかも、仏壇用のような細めのものしか手に入りませんでした。
暖房用に灯油を持っていったのですが、石油ストーブ自体がないと言われ役に立ちませんでした。現地に行かないとわからないことがいろいろあります。

富山テレビが同行取材した内容は、さっそく3月28日(月)夕方のニュース番組で放送されました。29日(火)にも関連レポートを放送予定。(チ)

<参加者>
10〜20代の若者6人
おじさん、おばさん8人
富山テレビのクルー2人
運転手2人

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写真上:石巻市役所近く。参加した若者たち


by kodomonoyume | 2011-03-29 11:53 | 現地レポート
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